せいとんブログ

2014年にうつ病を患い、2019年の10月に再発。なかなか挫けそうだけど子ども心を忘れずに、愉快で楽しいお兄さんを目指して。日々浮かんだ色んなことを整理整頓するためのブログです。ゆず、ギター、歌、写真、ゲーム、おもちゃ、ハンバーガー、ディズニー、特撮ヒーロー、好き。

何者かになりたい

キーボードを叩き出すとちゃんと書かなきゃいけないな、といつも意識してしまう。

背筋が伸びるというかしゃんとするというか。

何事にも「ちゃんとしなきゃ」と意識が常につきまとう。

自分の中の「ちゃんと」が頭の上にあるからいっつもそれに届かないと思っている。

 

あの人のようにいっそのことちゃんとするのをやめようと思う。

すると妙に怒られる。

つまり手を抜くのも下手のようだ。

 

 

何かにしっかり打ち込めるほどの好奇心や集中力や勇気が欲しいと思う。

すごいものを目の当たりにする。それを作った人がいる。

その凄さに落ち込んで何もできなくなってしまう。

「それに比べてオレときたら・・」ってやつ。

 

「いやいや、素直に尊敬してあなたも頑張りなさいよ。」

と、突っ込む自分がいる。

 

もう少し上手に生きたいなと思う。

それは贅沢なことなのだろうか。

 

本当にこのまま復職していいのだろうか

昨日の続き。

会社から連絡が来て、7月からの復職についての諸条件についての連絡があった。

 

詳しくは先日の↓のブログに書いたのだが、

megane-a26.hatenadiary.jp

 

自分「7月から復帰をしたい。働きながら徐々に治していきたい」

会社「良いコンディションでないと復帰させられない。今は時期尚早」

 

と、意見の食い違いが起こった。

 

今回の連絡で、一応は僕の主張が概ね通ったことになる。

しかし、しかしだ。複雑だと言うのが正直な思いだ。

 

ここ数日のブログにも書いていたが、前回の面談から僕は復職に対して前向きになれなくなっていた。

そこで、改めて自分の「うつ」について見直し、あまり印象のよくない現メンタルクリニックも転院して、今一度体調の回復に努めようと、思考の方向を変えていたのだ。

 

今回の件で復職となるのであれば、一度埋めた思考をまた掘り返さなくてはならない。

「色々思うところはあるけどまずは金」のプランだ。

一度落とされた気持ちをまた上げろというのか。

 

ここ数日自分の状況や思考がグルングルンと回り続け、正直言って何がどうすればいいのかわからない。「会社に復職」が多分正解なのはわかる。

金銭面でかなり救われる。今の生活はギリギリだ。

それでも一日経った今でも明るい気持ちになれない。いいのか?このままで。

 

なんだか大事なものをとりあえずその辺にほっぽっちゃうような感覚になる。

コロナ渦の中で新たな働き口がそうそう見つかるとも思えないし、かなり自分は恵まれている環境にいるだろう。

それでも自分は10ヶ月前体調を崩した。何かが合わなかったんだろう。なんだ?

 

疲れたんだよ。とりあえずもう少し考える。

ソニック•ザ•ムービー観てきた!

ディズニー復活したね。

年パス持ってるので使えないうちは行くつもりなあったのだけど、姉一家に誘われて14日にランドに行くことになった。

今日のニュースで「どのアトラクションも5〜10分程度の待ち時間」とあったので俄然乗り気になってきた。年パスだとほとんどアトラクション乗らなかったりもするので、ここぞとばかりにたくさん乗ってこようと思う。今思えばソアリンやトイマニがあるシーにしとけばよかったか。てかもうこの先ずっと完全予約制にしてゆとりを持って楽しめるようにして欲しい。無責任なこと言うけど。

 

そんな感じで7月になり、徐々に世の中も動き出してきた。

自分も今日はひっさしぶりに映画観てきた。多分半年ぶりくらいかしら。

映画の日で1200円だったからね。

観てきたのは「ソニック・ザ・ムービー」。

f:id:megane-a26:20200701234406j:image

劇場入ってみたらびっくり。自分以外誰もお客さんいない。スクリーン独り占め。

f:id:megane-a26:20200701234421j:imagef:id:megane-a26:20200701234448j:image

まぁコロナの影響で元々座席も一個飛ばしだし、平日の15時台だし、地方のちっちゃいシネコンってのもあるから納得はいく。

上映前、終了後、何も聴こえない無音の空間がすごい不思議な感覚だったけど、上映中は特に気にならず贅沢な時間を過ごした。

 

いつもより少し体制崩しめでだらしなく観てやったぜ。

前の席に足乗せたり、座席移動したりする勇気はなかった。

 

にしてもソニック大好きなのに日本だと人気イマイチで、せっかく映画で知名度アップのチャンスだったのにこんな時勢で本当勿体無い。

映画はめっちゃ面白かったよ。スピード感あってユーモアに飛んでてソニックもカッコ可愛くて「楽しい!」って言い切れる明るい映画。おすすめです。

 

さて先日のブログで書いた話。↓

 

megane-a26.hatenadiary.jp

 

今日会社からまた連絡きたんだけどそれについては明日書くかな。

 

 

スマホゲームサービス終了から思うこと

サービス開始から長いこと遊んでいたスマホゲームが8月末で終了してしまうらしい。

思わず「えっ!」と声が出てしまった。

たかだかゲームの話だが、スマホゲームの特性上毎日遊ぶような構造になっているので、その「習慣」が1つなくなると言うところに生活が切り取られるような、不安にも似た寂しい気持ちになってしまった。

 

飽きっぽい自分が毎日1つのゲームを何もツライとかシンドイとかも思わずチクチク遊び続けていたことは個人的に結構なトピックだ。

「プレッシャーのなさ」と「疲れすぎない自己満足感」と言うのはすごいなと思うと同時に、日常生活にフィードバックできないかとどうしても考えてしまう。

 

このブログや、日々のジョギング、料理づくりなど、習慣にしたいものほど「意識」してしまう。やらなきゃ、ってね。自分が好きかどうかもわからないくらい何も思わずに自動で体が動けばいいのに。

 

サービス終了後はゲームは遊べなくなるのはもちろん、遊んだ中で集めたカードも全て観れなくなる。

かっこいい絵柄もたくさんあったので、そこはなんとか観れるようにならんのかしら。

遊んだ思い出として何も手元に残らないと言うのは寂しいよ。

収集のど定番であるトレーディングカードなんかは例え廃盤になっても紙だから手元に残る。

「収集物=思い出の蓄積」だから、やっぱり最後は自分の手で処分したい。

他者の都合に振り回されるのはちょっと。

収集ってある意味自己完結だから、他人の管理下のスマホゲームの収集は所有による満足との相性は悪いというのが個人的思考。

 

でもたくさん楽しませてもらったし、長く習慣となっていたものが終わるってのはまた自分の中での「変化」の予兆でもある。これからまた面白い方に捉えたいところ。

 

 

子供と遊ぶのは楽しい。

さて、昨日は更新しなかったが、昨日は姉一家宅に泊まり、今日は実家に帰っている。

移動が多く、今ようやくゆっくりしたところである。

いつもと違う風景は停滞した気分を上げさせてくれる。

 

一人暮らしをしていると考える時間も増えるし、スマホに手が伸びる時間も増えるけど、

姪っ子たちと遊んでいると考えることも忘れてただ時間が過ぎていく。

 

「考える暇もない」って言うのはなかなか良い。

(そればかりではダメだが)

ここ最近の悩みも姉夫婦に聞いてもらったりしたが、概ね自分の意見に同意してくれて、周りに見方がいることのありがたさを再確認。

 

姪っ子も名残惜しい様子だったので、またすぐ遊びに行こう。

時間だけはたっぷりあるんでね(笑)

 

今日は慌ただしかったから明日はゆっくり過ごそうと思います。

転院しようか迷う

うつで6年通院しているメンタルクリニックの転院を考えている。

決定的な不満があるわけではないのだが、いつも診察後モヤる。

話は聞いてくれるし、こっちの考えを否定したりもしないのだが、アドバイスはくれない。

「先生はどう思いますか?」って聞かないといけない。

あとなんか待合室から見てじっくり話すのは難しい空気。

 

職場復帰に関しても医者はもうボチボチ復帰してもいいのではって言われて、会社では時期尚早と言われるしね。

今一度腰据えて治していくためにはイチから環境変えてみてもいいような気がして。

 

理想としてはやっぱ話聞いてもらって「こう過ごしてみたら?」ってアドバイスは欲しいね。

 

6年通院してきたので愛着はあるんだけど。

だから今更変えたいって言いづらい。

結局タイミング逃したんだよな(笑)

 

僕は自分のうつに向き合ってなかったのかもしれない

色々考えを巡らせる日々はつづく。

その中で結論、と言いたいところだが、またコロコロ感情が変わるので今時点での考え。

あくまでも。

 

それは僕は昨年からの再発うつをきちんと治そうとしていなかったんじゃないかってこと。

 

会社面談で言われた「時期尚早」と言う言葉に納得がいかなかった。

少しずつ行動をさせてほしい、と思った。

 

そう、僕は再発してからずっと「行動」していた。

 

なぜならば倒れるまでの数ヶ月間で、ずっと停滞感を感じていたからだ。

だから、焦っている自覚はありつつもできることは少しでもやりたかった。

それが不安を払拭し、自信になると思ったから。

 

友人の結婚式の余興や、調子の良い時はディズニーへ足を運び(コロナ前)、

そして春先には引っ越しをした。

 

うつになるのは2回目だから、ある程度気分が落ちたらどうなるか、そしてそこからどのように回復していくか理解しているつもりでいた。

家族にもこれ以上、迷惑と心配をかけたくなかった。

だから早く治したくて、自分がうつだなんて忘れるくらい思いっきり行動した。

(うつと自覚することが一番良くないことだと考えていたのだと思う。)

 

今思えばうつには変な行動力が伴うことを忘れていた。

 

でも会社の人の怪訝な顔つきを見て、こっちも不快になったけど、少し思い直した。

 

だって楽しいことも、悲しいことも、全然何も感じないんだもん。

なのに悪いところばかり目についてイライラしたり、人を妬んだり、怒ったりする。そして虚しくなる。

色々やってみたいことはあっても気力も体力も落ちてるから思った通りのものはできないし、その結果を見て「やっぱり自分は何もできない」と落ち込む。

 

やることなすこと、全ての行動が幸福につながっていかないのだ。

なぜなら幸せを受け止めるべき「心の器」が荒れに荒れていたからだ。

気持ちの整備をしなければどんなものも自分の心に入っていかない。 

好きな音楽が聴けなくなったり、友人の幸せを心から喜べない自分は本当にツライ。

 

だから、明日からもう少し自分のウツに向き合ってみようと思う。

また時間がかかってしまうかもしれない。焦る気持ちも当然ある。

でも人生の好転のために行動した自分も褒めてあげたいと思う。

 

ゆっくりゆっくり。